鬱の症状と回復への決意ときっかけ

抑うつ状態と診断されてからは、毎日が地獄のようでした。自分が鬱になったことを「苦しい」「つらい」「嫌だ」「悔しい」「恥ずかしい」と感じていました。

スポンサーリンク

消えてしまいたい

死ぬとか生きるとかではなく、消えてしまいたいと考えるようになりました。痛みや苦しみを感じることなく、突然スッと消えてしまいたいと。夜、布団の中で目をぎゅっととじながら「このまま朝がこないでほしい、このまま意識を失ってそのまま無の状態になっていてほしい」と、そう願いました。

休日はベッドに横たわりながら窓の外をぼーっと見つめ、「爆弾か何か落ちてこないだろうか…ちょうど自分の部屋のところで爆発してくれれば一瞬で消えることが出来る、痛みも感じないだろう」などと思ってもいました。

しかしそんなことが実現するはずもなく(実現してはいけないですし)、自殺という手段も臆病者の私にはできないものでした。死にたいのではないんです、消滅してしまいたいと起きている間はずっと考えていたのです。

毎日が葛藤でした。生きることを拒否するが、死ぬことも怖がる。そういった状態が半年以上続きました。当然こんなことを考えていたって答えなど見つかるわけがありません。両方いっぺんに実現するなんて不可能ですからね。

体も不調になる

処方された薬も効いているのか効いていないのかわからない状態で、副作用の睡魔や倦怠感だけがあるような状態でした。とても仕事が出来るような状況ではありません。

薬だけは飲んでいたのですが、お腹周りが妊婦のそれに近い状態に膨らんでいました。薬のせいなのか何なのかわかりませんが…。食欲が無いのにこんなことになるなんて…と不気味に感じたものです。

医者にはいきましたが話は聞いてもらえず、薬をただ処方されるだけでした。「つらい思い出ばかりがわいてくるんです、夜も眠れないんです。私は治るんでしょうか?」と相談しても、
「うーん、ちょっと薬を強くしてみようか?」としか言わず、これ以外にも自分の症状をメモして相談しても「薬をどうするか」という話しかしてもらえませんでした。

優しさに触れる

そんな毎日を心配した上司(発症時とは別の上司になっていました)がさすがに心配したのでしょう。「事情は知っている、とりあえず飯だけは食え」と言ってくれました。

たしかに食欲もなくなっていた自分はやせ細っていました。食べることを再開すると、症状はだいぶ軽くなりました。顔色は良くなり、少しだけ体調も良くなってきました。

そして上司はこうも言いました。
「嫌なことがあるのが人生だ、今はゆっくりとして自分のペースで回復させると良い
焦らず、回復したらまたバリバリやってくれ。」

その言葉で私はようやくホッとした気持ちになりました。いままで苦痛になっていた心が紐解かれるような気分になりました。

今まで、「鬱は甘え」だと言う人にしか会ってきませんでした。その影響で私は鬱になることは心が弱いこと、恥ずかしいこと、情けないことだとばかり思っていました。

しかしそうではないという事がわかりました。一度は周囲につぶされるかのように鬱になりましたが、今度は上司の優しさに触れて鬱に対する考え方を改めたのです。甘えではない、病気なんだ。だから回復することに努めよう、と決意したのです。

そこからです。私は鬱の症状と向き合うことになります。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする