「いい子」という存在はなんなのでしょう。大人にとって都合のよい存在?他の子どもたちの模範的存在?神童?…答えはわかりません。
しかし、もし本当は自分のわがままや不満を押し殺して「いい子」でいたいからいい子を演じている・もしくは「いい子」を演じていないと怒られたり不利益を被るから仕方なくいい子でいてしまう子供がいたらどうでしょう。
全然のびのびと成長できませんね。
「いい子」を演じ自分を押し殺しストレスが溜まる
いい子を演じざるを得なくなった人は自分の自由よりも、他人に対して気を使い他人を怒らせず気分よくいてもらうために努力しています。
さらに自分の考えている事・わがままや不満・意見を押し殺して他人(親など)に従います。自分を出さずに他人の為に考え行動をするのです。
そして「迷惑をかけてはいけない」事をモットーにしてしまうのです。だからいい子でいるのです。いい子でいないと他人に迷惑がかかると考えているからです。
しかしそれは大人になるころにキャパを超えてしまいます。私がそうでした。今まで「いい子」を演じてきたのにふと我にかえり、「自分らしく生きることが出来なかった」と感じてしまったのです。
「いい子」にしなければいけない対象は親から先輩・先生そして会社では上司に移り、ずーっと自分を押し殺してきた結果ついにストレスが限界を迎え鬱病が発症してしまったのです。もう自分を押し殺すことが出来なくなってしまったのです。
子供時代、周りの子供たちは親にわがままを言ったり、駄々をこねたりいたずらをしたりしていました。しかし私はそれらの行為を「親に迷惑をかける事」だと思い、やりませんでした。いい子を演じないといつ母のヒステリックが炸裂するかわからなかったからです。
でも後になって考えると羨ましかったのです。そんなことが出来る親子関係が有っていいなと言う嫉妬の気持ちもありました。
考え方を少しずつ変えて、心を自由にして脱「いい子」
うつ病と診断されて休んでいると、「本当はわがままを言いたかった」「「いい子」でなんていたくなかった」と考えるようになりました。すると今までの自分のアイデンティティが壊れる気持ちになりました。
鬱病にまでなって…自分は今まで何をやってきたんだろうと自分を責めたり、自由にふるまっていた他人に対し悔しい気持ちをもちました。
でも、そんなことをしても意味はありませんでした。だって自分を責めたり他人に嫉妬したところで何も変わりません。
これからは自由に生きようと考えたのです。
自分のわがままに従い、不満があれば押し殺さずちゃんと伝えようと考えたのです。子供みたいに駄々をこねたりはしませんが自分の意見をしっかりと言おうと心に決めました。
周りに対しても必要以上に気を遣わずにふるまおうと考えました。いままで妙にびくびくしながらご機嫌取りのようなことをしていましたがそんなことはせず、他人がやっているようにしたのです。
最初はちょっと怖かったですね。でも一度自分の不満や思った事を伝えても別に相手は怒らないですしご機嫌取りをしなくても機嫌がいいときは良いですし悪いときは悪いです。
それがわかってしまえば心はとても軽くなりました。余計な気は使わず自分の事を大事にして生きようという思いが強くなったのです。もちろん人間関係の事も考えてその辺りのバランスはとります。
だから「いい子」を演じていて心の奥底で苦しんでいる方がいたら、キャパが超えないうちに自分を自由にさせてあげるようにしてください。自分を押し殺して鬱病になってしまってはもったいないです。
まとめ
・「いい子」を演じると自分を押し殺すことになる
・いつか自分を押し殺せなくなる時が来て、自分を制御できなくなる
・筆者は心のキャパを超えて鬱になった
・自分を押し殺すことを止めて心を自由にするようにしたら心が軽くなる
いかがでしたか?自分を押し殺して無理をするのではなく、自分の心を自由にしてみてください。気が楽になって、生きやすくなりますよ。
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