幼年期、親の精神的虐待と「いい子」の誕生

私の事を書く前にまず家族の事を書いていきます。家族は祖父母・父母と私の5人家族です。母はヒステリック持ちです。祖母は母にとって毒親でした。祖父と父は婿養子として我が家に来ましたが、その二人は家族に対し無関心でした。

父も母も陰キャです。友達らしき存在は見たことがありません。両親はお見合いで結婚したようです。そして母には複数の姉妹がいます。

家族の仲は悪かったです。祖父と祖母は口をきかないしたまに話すとすれば怒鳴り合いの喧嘩です。祖母と母の仲は最悪と言ってよいです。小さいころ私と二人になると毒親である祖母の悪口をよく聞かされたものです。

父と母の仲もどちらかと言えば悪いものでした。夫婦というか共同生活をしている人と言った感じです。さらに祖母と母は祖父を嫌っていたのです。

といった関係なので、家の中では悪口と怒鳴り声がしょっちゅう飛び交っていたのです。

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幼年期

では私の幼年時代を書きます。

私はもともと大人しく、内気な性格でした。それに加え、虐待を受けたためその性格に拍車がかかってしまったのです。

虐待

私は幼いころ、虐待を受けていました。精神的な虐待です。これは身体的な虐待とは違い傷跡やあざが残りません。その為周囲が虐待に気づくこともなく、自分も虐待を受けていることに気づくことが出来ません。

不仲で機能不全になっている家族のしわ寄せは私に来ていたとみています。仲が悪いので悪口と怒鳴り声は普段から飛び交い、全員ストレスが溜まります。そのストレスのはけ口として私が的になったのです。

喧嘩

また、私を利用して喧嘩をすることもありました。
祖母「ほら、■■ちゃん(私)。あなたのママは馬鹿ママなんだよ。」
母「何言ってんのよ!くそババア!」
といったやり取りも幾度となくありました。

悪口・怒り

母からは自分に対する文句を言われたり、親戚の文句、一番多かったのは祖母への愚痴です。それをさんざん聞かされていました。そのくせそういう人たちに合う時はむやみやたらに自身を卑下していたのです。

そして私が親戚の子たちと仲良くしようとして「○○ちゃん」と呼ぼうとすると怒って止められました。「○○さん」や「くん」をつけて呼びなさいと。他の子どもたちは「ちゃん」で呼んでいるのになんで自分だけ…と思いました。そこで疎外感を感じたのです。

あとあと考えてみると、母は親戚の中での立場が下だったのです。だから私とその子が対等に仲良くすることが出来なかったようです。その為私が親しくしようとすると怒っていたのでした。

でも母は絶対

愚痴や悪口・ヒステリックに怒鳴られても小さい子には「自分が悪いから」としか思えません。まさか親が間違えていると考えられる頭の段階ではないのです。

幼子にとって、親とは絶対の存在です。絶対の存在が自分に悪さをするはずがない、そう信じ込んでいるのです。そしてもし虐待を受けていることに気づいても絶対の存在に嫌われては、生きていけないのです。食事も風呂も寝床も与えてもらわなければ子供は生きられません。

ママ友もいません。他の家と交流があれば「うちは何かが違う」と気づけたかもしれませんが「自分の家」しか知りませんでしたから、これが普通なんだと思い続けてしまったのです。

私は本能的に「嫌われてはいけない」と感じました。だから、嫌われない事を至上命題にしたのです。

「いい子」の誕生

親に嫌われないためには、「いい子」にしていなければならなかったのです。「悪い事はしてはいけない」「迷惑をかけてはならない」と、考えていたのです。

しかし幼子には善悪の判断など出来ません。どこかに歩いていってしまえば戻って来いと、しゃべればうるさいと一喝されていたのです。

祖母も母もヒステリック持ちです。何かをしでかせば甲高い怒鳴り声でギャンギャンわめきたてられるのです。

恐怖でした

そこで、何もしなければ迷惑をかける事はないという結論に至ったのです。

こうして私は、自分から好奇心の芽を摘み取っていきました。何にも興味を持たず、親の顔色を伺い、静かに、波風立てずに生きることにしたのです。

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