苦い記憶・嫌な思い出は、その場所に行くと軽減されうつ病の改善につながる

嫌な記憶・・・思い出すとなんだか苦々しくなる記憶があります。その内容は人それぞれで、特に子供時代の記憶やその時の感情は強く残っていることが多いです。しかしその記憶や感情は、時間をおいて再訪すると軽減されるのです。

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嫌な記憶は残る

小学校時代、私は低学年の時にいじめられた経験があります。そして高学年ではいじめっ子側になるという、良くない過去もあります。その時、いじめられた時の嫌な感情と、その後に自分がいじめっ子になってしまった自己嫌悪がずっと残り続けました

そして中学生時代はこのことで人間関係というもの、人との距離感をつかめずにいた時を送ることになったのです。さらに誰かと仲良くなっては離れたり、怖い先輩に囲まれては嫌な思いをしたり、体罰をする教師がいたりと、あまり良い記憶が残っておらず、むしろ嫌な感情しか残っていませんでした。

それから10年以上の間、その記憶と感情が高校時代以降の新たな人間関係を形成する必要がある度によみがえって踏み出せなかったのです。

今思うと、ずっとこの記憶に縛られていました。この記憶と感情が来る日も来る日も頭から離れず、私の頭の中はあの時で止まっていたかのようでした

母校へ行ってみた

鬱で会社を辞めた後、症状を和らげる為に散歩を日課にしていました。最初は毎日同じルートを歩いていたのですが、しばらくすると少し飽きたので別のルートを開拓してみようと思ったのです。

そこでふと、散歩にはちょうど良い距離に母校の小中学校があることを思い出しました。卒業から10年以上が経っています。久しぶりにちょっと見てこようと思い、私は普段通り家を出たのです。

かつての通学路は変わっていました。林だったところは駐車場になり、古民家は取り壊されてアパートが建てられていました。「なんだか変わったなー」と思いつつ母校のすぐ近くまでたどり着くと。。。

小さい・・・。」が最初の印象でした。

広いと思っていた校庭は思ったほど広くなく、大きくて威圧感のあった校舎はそれほど大きく感じなかったのです。校庭で練習をしている生徒は誰も知りません。当時の先生たちだって全員異動してしまっており、知らない人しかいません。

まじまじと見ていては不審者になってしまうので歩きながら見ていましたが、私は呆気にとられた状態になっていました

大きく考えすぎていた

抱いていたかつての学校のイメージとは変わっていたのです。時を経るごとに悪い方に悪い方に膨らんでいった記憶が、打ち消されました。もはや先生も生徒も、私が知っている人はだれ一人いません。いったい何を恐れていたというのでしょう

たかだか数百人程度の学校という社会に、しかも数年の間だけの出来事になぜこんなにも縛られていたのか・・・でもそれが「どうということはない」事だと確認でき、心持がかわったのです。

そして周りの環境も変わっています。どこもかしこも「あのときのまま」ではありません。10年以上たてば心も体も成長しています。なのに自分の中では、もう存在しない「あのとき」に縛られてしまっていました。

そして、楽しかった思い出がよみがえりました。「そういえばあの校庭の隅で携帯ゲーム機持ち込んで遊んだな」「あいつと遊んでたら先生の車にボールぶつけて先生ブチ切れてたな」などと、「懐かしいなぁ~」と思えることが出来たのです。いままでは悪い思い出しか出てこなかったのですがね。

まとめ

ずっとずっと心の中に有ったあまりよくない感情は、ふたをしたままだとずっと残り続けます。忘れようと思うとなおさら残ります。でも、時間がたってからもう一度向き合ってみると違う受け止め方が出来ます

小中学生時代に頭の中で大半の部分を占めていて、その後も自分の中から消えなかった感情は、10年たって再び学校へ行ってみたことにより、「これは過去なんだ」と確認することが出来、心が軽くなりました

どうも過去を過去だと割り切れない場合は、その場所に行き、目で見て、空気を感じて、今現在の自分に直接関係していないという事を全身で確認してみてください。ストンと納得できることがあります。

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