友達とは対等な関係で、ご機嫌取りをする相手ではない

高校一年で幸い周りの善意で友人が出来ましたが、進級してクラスが変わると状況が一変します。知り合いが全くいなくなりました。再びゼロからの友達作りが始まったのです。

ただ私は疲れていました。一年生の時に友人関係を広げていくことで私は神経をすり減らしてしまっていたのです。無理やり友人関係を広げていっても疲れるだけです。私の場合は数人で十分すぎるほどだったのです。

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対等で心落ち着く関係こそが「良い友達」

「友達」ってなんだろうと、誰しもがそんなことを考える時があります。試しにGoogleで検索してみるとこのように結果が出てきます。

勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。友人。

ここで注目したいのが「同等の相手」という部分です。上下関係が有っては友達ではありません。私はさらに踏み込みます。心を穏やかに付き合える相手だと私は考えます。

進級後、私は全く友達がいない状態から少しずつ仲良く話せる人を増やしていきました。でもそのやり方を私は間違えていたのです。その人に気に入られようとパシリのような事をしていたのです。

自分で自分をいじめてはいけない

何かといえばおだてたりむやみやたらに自分を卑下したりしていました。中学時代と比べて完全に落ちこぼれになっていましたから自棄になっていたのもあります。

表面上は仲良くなりましたが自分の気持ちはズタズタでした。今考えるとセルフでいじめをしていたようなものでした。いじめの言葉を言われるのが嫌だったから自分で先回りして自己申告していたのでした。

つまり、いじめは続いていたのです。それで私は人間関係に疲れました。

それで友達作りをやめてしまったのです。これに失敗したらもう孤独しか待っていません。自分の周りに話を出来る人が全くいないのです。

ただ、高校一年時代に知り合った人、ものすごく薄い知り合いがいたので(後から分かったことですがネット上での同級生の集まりがあって、そのメンバーです)かろうじて席は遠いですが友達作りを遅ればせながらすることが出来ました。

友達作りはなかなか疲れました。私の場合は作り方を間違えていたのです。

全員と仲良くする必要はない

気楽に話せる友達を、自分の周りに数人いる状態であればそれでいいのです。なにもクラスメイト全員と仲良くしようなんて息巻く必要はありません。さらに相手に気に入られようと必要以上に自分を卑下する、相手をおだてる必要なんてありません

自分の、ちょうどいいくらいでよいのです。

まとめ

1.友達とは「対等な関係」であり、そこに上下関係は存在しない
2.自分で自分を卑下すると傷つくのは自分であり結局いじめられている事と同じことになる
3.全員と仲良くする必要はなく、気の合う少数の友達がいればそれで充分

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